岡山・倉敷歴史探訪 2018.2

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近年にない極寒と大雪に襲われた2018年冬。筆者が最初の取材地として選んだのは、「晴れの国」岡山にある重伝建の「倉敷」だ。

年間購読されている人は既にご承知の通り、「車中泊専門誌カーネル」は今年創刊10年を迎えるが、それに際し、紙面リニューアルのために1月号を休刊し、3月から装い新たなスタートを切るらしい。「らしい」というのは、筆者がわかるのはそこまでで、自分の担当以外の紙面がどうなるのかまでは知らない。

筆者は創刊号からカーネルに連載してきたが、いよいよ「車中泊で旅する」もこれで終わりかと思いきや、逆に以前の年4回に戻して、さらに4ページを追加するという連絡をもらった。

そこで、以前は10Pをパート1、4ページをパート2にして、2ヶ所の車中泊旅行ガイドを掲載していたのだが、今回からはコンセプトを変えて、4Pについては「車中泊で攻略する○☓△」という企画をあげて了承を得た。

ちなみに来月10日発売されるリニューアル第1号は、10Pが「明治維新150年に沸く、鹿児島の旅」、4Pは「車中泊で攻略する、名城桜・信州編」として、桜で名高い高遠城と上田城を、車中泊の強みを生かしてどう渋滞と混雑をかいくぐりながら鑑賞するか。という話をお届けする。

さて。その流れの中で筆者が着目しているのが「重伝建」だ。

重伝建とは、重要伝統的建造物群保存地区のこと。
歴史的な集落や古い街並みを残そうと、住民が国や自治体からの支援を受けながら保存に取り組んでいる地区で、国に選定されれば修理や保存にかかる費用の補助が受けられたり、固定資産税が減免される。

1976年に長野県南木曽町の宿場町である妻籠宿(つまごじゅく)など7地区が選定されたのが始まりで、岐阜県白川村の合掌造り家屋が並ぶ荻町地区、武家町では鹿児島県に知覧町(ちらん)などが有名だ。2017年11月28日現在、全国には97市町村117地区の重伝建がある。

もちろん世界遺産と同様、「保存」が目的なので「観光地」としての価値を成すものばかりではないが、「行ってみたいが渋滞や混雑が気になる」ところも多い。倉敷はその代表的なところだろう。

事実、倉敷の美観地区はその名の通り美しい。

ただ…正直云って、倉敷は「どこをどう見ればいいのか」が理解しづらい町のひとつだ。それは「美観地区」という甘美な表現が、いつのまにか本来の意図とは違う「白壁土蔵のレトロでオシャレな町」という偏ったイメージに置き換えられてしまったからにほかならない。

その結果、印刷物やウェブには土産物と飲食に関する情報が氾濫し、「本来の倉敷らしさ」はほとんどかき消されているといっても過言ではない状況だ。

筆者が、そんな倉敷に足を運んだのはこれが4度目。特に「日本一周車中泊コースガイド」の取材で訪ねた時には、ボランティアガイドといっしょに倉敷の町を歩き、ガイドブックには出てこない話や場所を学んでいる。

それでも「観光密度」が高い、倉敷の全ては把握しきれない。

今回はあいにくの雨にぶつかったが、既に青空の倉敷は撮れているので、あえて観光客が少ない倉敷を歩くことに。建物は日差しで影ができる晴天よりも、しっとり感のあるいい写真が撮れる場合がある。

旅行ガイドゆえに、カーネルには多少の美味しい要素が必要(笑)。今回はそういう場所も訪ねてきた。

しかし、JKや若いカップルに混じってこれを食べるのには、いささか抵抗があったのは確か(笑)。

なお、以下に帰宅後まとめた本気の倉敷レポートを掲載している。

さて。この夜は倉敷に最寄りの車中泊スポット「酒津公園」ではなく、少し離れた「道の駅みやま公園」で泊まった。当初は1日で倉敷を廻り切れないと思っていたが、予想以上に空いていたためスムーズに取材が進み、翌日の動きを考慮して、ここへやってきた。瀬戸大橋に近い「道の駅みやま公園」からは四国にも行きやすい。なお、この道の駅にはゴミ箱もちゃんと置かれている。

翌朝、「晴れの国」岡山に快晴が戻ってきた。そこで一番に訪ねたのは、瀬戸大橋の眺望が美しい鷲羽山展望台。ここは既に写真を持っているのだが、昼になると逆光気味になり、橋が彼方まで写りにくい。

そこで朝のうちに訪ねたのだが、想像以上の強風と四国の空が曇っていることが判明。清掃のおじさんいわく、この雲だと四国は雪。ということで筆者の行き先から四国は消えた。雪はともかく、強風時に海の上を走るのはお断りだ(笑)。四国は高知の坂本龍馬記念館が1年半ぶりにリニューアルオープンするGWに、じっくり回るつもりでいる。

そこで内陸方面に行き先を定め、吉備に近い備中高松城址に行くことに。ここは世にいう「中国大返し」の起点となる古戦場で、秀吉の「水攻め」で知られる。

ここには大河ドラマ「軍師官兵衛」が放送された2014年にも足を運んでいるのだが、今回は2つのことを確認したくてやってきた。そのひとつは「倉敷」との関係だ。驚いたことに… 秀吉の水攻めがなかったら、倉敷の町はこの世に生まれていなかったかもしれないというのだ。それについてはほぼ確証を得てきた。

もうひとつは、事実の確認。

記録によれば、秀吉はわずか12日間で高さ7m、長さ3キロもの堤防を作り、東京ドーム約40個分もの巨大な人造湖を出現させたというのだが、400年も前の時代に、本当にわずか12日間で3キロもの堤防を築くことが出来たのか? 

実は今年の1月29日に、BS朝日の「歴天 ~日本の歴史を変えた天気~『備中高松城の水攻め』」という番組が放送され、偶然筆者はそれを見ていたのだが、その中で見事に答えが解明されていた。

確かに前回の訪問時に、なぜ当時の遺構が「蛙ヶ鼻」にしか残っていないのか?という疑問を筆者も抱いていたのだが、それについても「一発回答」といえる説だった。そこで上の写真を生で見るべく、わざわざ出向いてきた。といっても鷲羽山からは40キロほど、そのあと岡山城に向かう前の「寄り道」だ。

この話は後日、「備中高松城」の記事で詳しくレポートするつもりだ。一番わかりやすくて素晴らしかったのは、資料館にいらしたボランティア・ガイドのおばちゃんの説明。恐れ入りました(笑)。

最後は岡山城へ。世の中的にはお城よりも「後楽園」のほうが有名だが、倉敷の町が誕生するきっかけは、この城を築いたお殿様の「ある施策」にある。その話が場内のパネルに記されていた。

そのお殿様とは宇喜多秀家。大河ドラマ真田丸では俳優・高橋和也が好演し、記憶に残っている人も多いのでは。

こうして歴史の糸を手繰っていくと、定番中の定番みたいに思われている観光地にも、まだまだ「新発見」はあるもので、それを筆者は、今後もっと大きく取り上げていきたいと思っている。いずれにしても、それは自由奔放に動ける車中泊のクルマ旅ならではの観光法になるはずだ。

最後に昨日は、ここで天気が怪しくなってきたため岡山を引き上げ、道の駅相生ペーロン城まで戻ってきた。今日はこれから有馬温泉方面に進み、車中泊禁止という噂の「道の駅神戸フルーツフラワーパーク大沢」を視察後、「金の湯」で疲れを癒やして帰宅する予定だ。

ちなみに有馬温泉については、筆者のイメージする車中泊の旅行ガイドページが既に完成している。

有馬温泉の概要と車中泊事情

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