2017.4 信州の名城と桜 車中泊で取材旅

「桜前線・追っかけ旅」というのは、聞こえはいいが実際はかなり骨の折れる仕事である。特に今年のように開花が遅れている年は、例年なら時期にズレのあるところでも、ほとんど同時に開花を迎えることが多い。しかも満開時は人だらけで、よくタイミングを計らなければ、雑誌に使えるような絵は撮れない。

写真を撮る人なら筆者の「影」でお気づきだと思うが、上の写真は家内がまだクルマの中で微睡んでいる時間帯に出向いて撮った。

さて。上り線の諏訪湖SAで朝を迎えた筆者は、進行方向を変えるために諏訪ICで一度高速を降り、せっかくなので諏訪の桜の名所である高島公園に向かったのだが、桜の花は影も形もなかった(笑)。

諏訪湖は松本よりも南に位置しているが、盆地のせいか気温が低い。かつては厳冬期に全面結氷していたほどなので、それも仕方のない話だろう。時間に余裕があれば、久しぶりに諏訪の温泉にでも立ち寄りたかったが、素晴らしい青空に恵まれたⅠ日を気まぐれで粗末にしてはいられない。

そこで予定通り高遠を目指すことにした。高遠は今回が4度目だが、筆者にとっては「思い出深い場所」のひとつだ。2年前に信州車中泊コースガイドの取材で足を運んだ時は、なんと「雪」。しかも降ったどころではなく、御覧のように積雪である。困った挙句、1日空けて再訪し、何とか夜桜をモノにして事なきを終えた。その当時の取材ドキュメントが残っているので、興味があればあわせてどうぞ。

そして今回、鬼門の高遠はまたしても試練を。なんだ、まったく桜は咲いてないじゃん!。高遠城址の桜の様子はわざわざ駐車代を支払って現地に行かなくても、この「高遠 しんわの丘 ローズガーデン」にくればつかめる。

写真下の桜の塊が見えるところが高遠城址公園。満開時はこんなふうに見える。この写真は駐車場から30分近くかけて山を登った高台から撮影しているが、駐車場からでも開花状況は分かる。とまあ、他ではあまり紹介されていないそういったマニアックな情報が、筆者の本にはちょこっと書かれている(笑)。

はてさて、これからどうするか…。やっぱり、今年も上田城に行くとしよう!

そういいつつ、途中で高速を降りて「松本城」に立ち寄った。理由は北アルプスがきれいに見えていたからだ。

ウェブでも書籍でも「長野の桜の名所」に挙げられている松本城だが、意外にも桜の本数は少なく、お城絡みのいい写真が撮れるわけでもない。それよりも、この城は背景に錫杖岳を筆頭にした北アルプス連山が見られることに価値がある。

とりわけ素晴らしいのが天守から見える西側の光景だ。ただしこの写真は「天守の最上階」からは撮影できない。そのあたりの情報は、また後日「ニッポン見聞録」で詳しくふれたい。

ちなみに、この写真は2015年4月11日に撮影したもの。桜は満開だが、この日は北アルプスが見えなかった。「足して2で割る」というのは、まさにこういう時に使うのだろう(笑)。

松本からは国道ルートで小諸の懐古園に向かった。上田城の晴れた満開の写真は既に持っているので、今回は夜桜からでいいと思ってそうしたのだが、懐古園もまた桜は蕾。上田が満開で小諸が蕾というのは納得がいかないが、それが現実だからしかたがない。ただ、懐古園にきた理由はもうひとつあった。

ご承知の通り、筆者は大河ドラマのロケ地やゆかりの地を何年もかけてコレクション(笑)しているのだが、懐古園にも風林火山の主人公・山本勘介ゆかりのアイテムが残されていた。実は懐古園も3度目になるのだが、過去の訪問時にはその存在を見逃していたのだ。

さて。懐古園については少しだけここで触れておこう。懐古園こと小諸城は、武田信玄の時代に山本勘助によって現在の縄張りができ、豊臣秀吉の天下統一の際に城主となった仙石秀久により完成された。城下町より低い位置に築かれた「穴城」は全国でも珍しく、「日本百名城」に数えられている。

ということより、関西の人間にとって興味深いのはコレの方だろう。

皿そばで知られる「出石そば」は、小諸城主・仙石秀久が江戸時代に兵庫県の出石に転封された折に、連れてきたそば打ち職人によって伝えられたとされている。ちなみに、出雲そばも松本城主であった松平直政によって松江に伝えられた。

そして日没。

最後の最後に、上田城で作戦がピタリとはまった。そして道の駅で泊まり、一夜明けた早朝5時半。

よっしゃ!
まるで草刈雅夫が六文銭ののぼりの横に顔を出しそうな絵が撮れた(笑)。

昨年放送された「真田丸」の記憶が冷めやらぬ上田城のお話は、次回の松代城と合わせて書ければと思っている。真田の歴史は、幸村が戦死し、松代に幸村の兄・信之が転封されてからのほうが圧倒的に長い。ちなみに信之は93歳まで生きている。

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