下関から岡山まで 2015/日本一周の旅12

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シルバーウィークには下関まで足を伸ばし、そこから広島県を経て岡山県の倉敷まで取材を行ったが、今日はその下関から続く、剣豪「宮本武蔵」の話をしようと思う。

20151012本

筆者の歴史好きは今に始まったことではない。この本はたぶん中学生の時に買って読んだのだが、もはや40年前… そう書くとなんとも恐ろしい!(爆)。

だが、記憶はもはや文字がかすれて読めないほどに劣化していた。それを再生してくれたのが、2014年3月15日・16日に、2夜連続でテレビ朝日開局55周年記念番組として放送されたスペシャルドラマだった。主役はキムタクで、その映像はツタヤでレンタルして見ることができる。

巌流島

さて。宮本武蔵が佐々木小次郎と戦った「舟島」は、関門海峡に浮く小さな無人島で、今は「巌流島」と呼ばれ、下関の唐戸市場から出ている渡船に乗って行くことができる。

20151012巌流島

下関は見どころの多い町で、過去に3度足を運んでいるのだが、なかなか巌流島までは時間が回らず、この日は4度目にしての初上陸だった。

20151012島田美術館

実は2014年の12月に、武蔵の終焉の地となった熊本を訪ねてきた。生涯で60余戦・無敗という驚異的な戦績を残した宮本武蔵だが、29歳で佐々木小次郎と戦って以降は、どちらかといえば武芸よりも芸術に日々を費やしていたようだ。

20151012五輪書

57歳の時に熊本の細川藩主・細川忠利公の客分として熊本に身を落ち着かせるが、そこでは細川忠利・光尚の相談役と、剣や兵法の指南役として働き、余暇には、書画や工芸をたしなんでいたという。武蔵が熊本市近郊の金峰山にある、霊巌洞にこもって、その死の直前まで書いていたという「五輪書」はあまりにも有名だ。写真の島田美術館は、宮本武蔵ゆかりの武具・遺品、書画などを展示していることで知られている。

熊本県は山口県同様、歴史的な見どころに満ちた県で、武蔵ゆかりの地の他に、西南の役の激戦地となった田原坂や、同志社大学の創始者である新島襄の教え子であり、良き支援者であった徳富蘇峰の記念館などもある。その熊本県の話は、温泉を中心に12月発売のカーネルで詳しくレポートする予定なのでお楽しみに…

宮本武蔵の生家

話を元に戻そう。
ところで宮本武蔵の出生には、兵庫県の播磨生誕説と岡山県の美作生誕説の2つの説があるのをご存知だろうか。未だその決着はついていないようだが、美作生誕説は吉川英治の小説『宮本武蔵』に採用されたため広く知られ、岡山県および美作市(旧大原町)は、宮本武蔵生誕地としての観光開発を行ってきた。

20151012美作

それがまた素晴らしいのだ。史跡は実在する宮本武蔵の生家を筆頭に、分骨された墓地、そしてその顕彰を記して建立された神社や記念館など、宮本武蔵のちょっとしたテーマパークのようなかたちにまとめられている。そのうえ、トイレ付きの無料駐車場と日帰り温泉まで揃っている。

20151012大河

ここまで史跡が整備されているもっとも大きな理由は、2003年に放送された大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』にあるのだろう。NHKテレビ放送開始50周年、大河ドラマ40周年記念作品にあたるこのドラマは、主演の七代目市川新之助(今の海老蔵)ほか、武蔵の幼馴染みの本位田又八に堤真一、恋人のお通役には米倉涼子、宿敵・佐々木小次郎にはTOKIOの松岡昌宏、さらに小次郎の恋人・琴役は仲間由紀恵が演じ、琴の死後に小次郎の恋人となるお篠は宮沢りえが演じるなど、いつも以上の豪華キャストであった。

もっとも脚本には厳しい批評もあるようで、視聴率もさほど好調ではなかったようだ。 残念なことに筆者はまだそのドラマを見てはいない。それは今の執筆作業を終えてからのお楽しみに置いておくとしよう(笑)。

だがそのチャンスを生かして、湯郷温泉からクルマで1時間近く離れたこの山村を「観光地」に仕立てた人達の功績は大きい。もっと恵まれた環境にありながら、まったく素地を活かせていない地方の観光協会が多い中では、間違いなくサクセス・ストーリーと呼べるひとつだと思う。

「観光は人で決まる」。それは長年日本を旅してきた筆者が肌で感じる結論だが、作州武蔵はそれを確信するに足るところであった。

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