人生を仕上げるためのクルマ旅

ちょっと大袈裟かもしれないが、近頃は断捨離(だんしゃり)や終活といった、「人生を仕上げる」行動に中高年の関心が高まっているようだが、それは「旅」においても当てはまる。

実は筆者は、2015年から「日本一周の旅」をスタートし、2016年末時点で北海道と本州を終え、ちょうど今九州にさしかかっている。

この記事は2016年12月26日に鹿児島県の指宿で綴ったものだが、指宿は初めて見る地ではない。

既に20年近い歳月をクルマ旅に明け暮れてきた筆者にとって、日本で知らない観光地は、もはや皆無と云っても過言ではないと思う。

ただ、「人生の仕上げ旅」というかたちで日本各地を周るのと、行ってみたい地をアットランダムに訪ねるのは違う。

「仕上げ」という言葉には、「仕事の最後の工程」という意味があり、「完了」が暗示されている。

すなわち、「人生の仕上げ旅」というのは、古くは「伊勢・熊野参拝」、あるいは「四国八十八霊場巡礼」、最近では「日本百名山登山」のように、「完結性のあるテーマ」を持つものではずだ。つまり、きちんとしたゴールがあって、そのゴールに到達することが人生における何がしかの「完了」に通じるところに意味がある。

中には、定年して年金暮らしになれば長旅ができるようになり、ようやくそれが叶えられると思っている人がいるかもしれない。

だがそれは違う。

短い休暇を利用しながら数回に分けて周ろうとも、先ほど書いた条件に当てはまっていればそれでいい。

むしろ現役のうちから始めて、ちょうど臨終に間に合うくらいのロングスパンなテーマであってこそ、「人生の仕上げ旅」と呼ぶにふさわしいプログラムが描けるのだ。

また「人生の仕上げ旅」がひとつである必要もない。複数のプログラムを同時並行で進めることは十分に可能で、実際に筆者はそうしている。

問題は、その旅に「家財道具を一式積んで出かける必要」があるのかどうかだ。

もしあると云うのなら、それは旅というより放浪…

放浪をする人にはそれなりの理由があるとは思うが、見方を変えればそれは車上生活だ。一般市民の目には「世捨て人の行為」にしか見えないだろう。

Next:ワンランク上の車中泊

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